< No.96 フレーズ >
これを言うと大概の旅人は驚くのだが、私の国には「フレーズ」を刻む風習がある。
誰もが、一番下から二番目の学校を卒業する時に、一枚のプレートを手渡され、
そしてそこに、生涯でただ一文、たったひとつの「フレーズ」を刻むのだ。
早いものなら、プレートを受け取ったその晩には、「フレーズ」を刻んでしまう。
だが、大抵は彼らの親に言い含められ、もっと大人になってから、それを記す事になる。
なんといっても、生涯でただ一つ。
刻んでしまってから後悔しても、遅いのだ。
ある者は、プロポーズの言葉を。
ある者は、聖書の一節を。
ある者は、親友の遺言を。
ある者は、デビュー作のタイトルを。
人々は、プレートに文字が刻まれるその時まで、探し続ける。
もう、これ以上ない程に心揺さぶられ、死ぬまで忘れられないと思った、その言葉を。
「フレーズ」は、いつも私達の首から下げられている。
このプレートを持たない事は子供の証であり、刻まれた「フレーズ」はその人の人格を現している。
「フレーズ」は、生きる指標だった。
誰もが、互いに互いの「フレーズ」を読み、その人物が、いったいどういった事に感銘を受け、
どう言った人生を歩もうとしているのかを、そこから汲み取ろうとする。
だから、私たちにとって第一印象とは、彼の「フレーズ」そのものなのだ。
「フレーズ」については、厳しい規定がある。
第一には、プレートの与えられる時期。
これは勿論、プレートを管理に出来る年齢になるまでは、ということだ。
プレートは、一生に一枚しか与えられない。
分別もつかない子供に、それを与えたらどうなるか、想像するのは容易いだろう。
第二には、初対面でお互いの「フレーズ」について話をしない事。
「フレーズ」は、彼にとって生きる指標、言わば彼自身なのだから、不用意にそれに触れてはならないと言う訳だ。
初対面で、政治と宗教の話をしない国があると言う。それと同じだと思って呉れれば良い。
この規定は特に厳しく、毎年何人かがこの事で処罰を受けている。
第三に、死者のプレートについて。
死者のプレートは、すべて教会に回収されなくてはならない。
これは、「フレーズ」を二つ持つ事が禁じられている為だ。
他人に譲渡する事など持っての他、死者と共に埋葬する事も許されない。
プレートは白金で出来ており、回収されたものは、また新たなプレートとして生まれ変わる。
とまあ、こう言ったところだ。
そんな訳なので、私は初めて彼女にあった時、驚きのあまり言葉も出なかった。
あれは、もう何年も前の、冬の初めの事だった。
降り頻る雪の白さに、私はバスを待っていた事も忘れ、呆然と空を見上げていた。
「綺麗ですね」
そんな私に、隣から彼女は声をかけてきた。
まだ、私の半分も生きていないような、あどけない少女だった。
「本当に」
私は微笑み返し、暫く彼女と、ぼんやり雪を眺めていた。
その内にバスがきて、私達は向かいの席に座った。
車内は暖かく、二人は自然に上着を脱ぎ、マフラーを解いた。
そして、いつもの風習で、互いのプレートに目を遣り・・・
「あっ!」
声を上げたのは彼女だけだったが、私もぽかんと口をあけて、彼女のプレートを見詰めてしまった。
そこには、こう記されていたのだ。
『急いでいる時に立ち止まり 空を見るのはいいものだ』
貴方達には、私達の驚きがわかるはずもない。
この国の中で、全く同じ『フレーズ』を下げたものと出会う確率など、殆どゼロに等しいのだ。
考えてみて欲しい。ここに何百万の人間がいる。
彼らは、各々の思想を持ち、各々の個性を持ち、そしてそれらを社会に表明する必要がある。
彼らが感動するものは個々に違うだろう。
そして、誰もが知っている、誰もが感動を覚える映画の文句のような、そんなものでは個性を表明できない。
だとすれば、貴方は何を刻むだろう?
貴方だけが知っている、貴方だけの、至上の言葉ではなかろうか?
たとえ、万人に知れ渡っている書物からであろうと、他の誰もが選ばなさそうな、そして自分に感銘を与え、
魂を打ち震えさせた、そんな言葉を選ぶのでは?
・・・・そんな事はさておき、私達は互いに酷く驚いた。
この言葉は、私が仕事で外国を渡り歩いていた時に、ふらりと立ち寄った民宿の使いっ走りをしていた青年が、
忙しなく動きまわる私に、諭すように教えてくれた、彼の国の詩人の言葉だった。
だからこそ、これを、こんな年端も行かない娘が知っているなどと。
そしてそれを、プレートに刻んでさえいるなんて。
「あの・・・」
だが、私は口を開いた彼女に、小さく首を振って見せた。
私達はまだ、初めて会ったばかりだ。それに、こんな公の交通機関の中で、プレートの話など誰もしない。
彼女も、それを悟った様で、大人しく口を結んで、けれども極上の、花綻ぶような微笑を、私に投げ掛けてきた。
私ははっとして、年甲斐もなく照れ笑いをしながら、この、魂の共有者に、にっこりと頷き返したのだった。
私達は、どちらも終点までは乗っていなかった。
彼女は駅前の停留所で、私に丁寧な会釈をして、バスを降りて行った。
私は仕事場の近くでバスを降り、その時にはもう既に、彼女とバスを降りなかったことを後悔していた。
もう二度と会う事はないだろうと思った。
そして、その通りだった。
彼女の大きな旅行鞄は、彼女を遠い国へと連れ去り、雪が溶ける頃に、私は退職した。
私は、今でもこのプレートを見ると思い出す。
北の、国土の大半を雪と氷に閉ざされた国の、まだ若い青年が指し示した、寒空の星々。
彼の屈託のない笑顔と、あの時に感じた、この上ない安心感。
仕事仕事で疲れ切った自分に、漸く与えられた天の声。
そして、あの日、共に雪空を見上げた、少女の事を。
私はもう直ぐ、神に召されるだろう。
そうなればプレートは回収され、溶かされて、この「フレーズ」は失われてしまう。
少なくとも、彼女だけは、それを覚えていてくれるだろうが。
・・・だから、今日、貴方にこの話をしたのだ。
旅人さん。
もし、貴方が何処かで、これと同じフレーズを持つ女性に出会ったなら、今の話を伝えて下さい。
語り合う事の出来なかった、私達の代わりに。
『急いでいる時に立ち止まり 空を見るのはいいものだ』
どうか忘れない様に。
これが、私の「フレーズ」です。